自宅出産?(私のエピソード)



今日はわたしの次男(第三子)の出産のときの話をしようと思う。

ほとんどいないであろうと思う私の自宅出産の経験を書いていく。

 

次男を身ごもったときには、わたしは地方都市から少し離れた郊外に、長女(当時小6)、長男(当時小4)、夫とともに住んでいた。

予定日も近づいてきた6月のある日の夕方、その日も、夜中に出産になる可能性があるかも…と思い、早めに入浴を済ませていた。

そのときに「おしるし」と言われるものがあった。

「もしかしたら今夜あたり?」と何となく感じた。

 

わたしは家族に夕食を作り、普段と変わらない生活をしていた。

午後9時ごろだったかと思うが、お腹がかすかに痛くなってきた。やっぱり始まったか…と思った。

それから2時間ほど経った午後11時過ぎ、痛みが20分間隔になった。

経産婦ということもあり、出産が早まる可能性が高いので、病院に電話をし、入院のためにまとめておいた荷物を載せ夫の運転で病院へ向かった。

その晩は晴れていて、病院に向かう途中、車窓から、煌々とした満月が見えたのを今でも覚えている。とても美しい月だった。

 

わたしが通っていた産婦人科は小さな個人病院だったので、陣痛室は個室だった。そのためとてもリラックスできた。

病院に入ったのが午後11時過ぎ。それから2時間が経過したが、子宮口がほとんど開かなかった。

看護師がこの状態だと朝までかかりそう、上の子が2人、小学生ということだし、このまま朝まで両親が家を空けて何かあったら大変なので、一度帰宅した方が良いと言われ、夫と帰宅することにした。

 

日付が変わった午前1時ごろ帰宅したわたしは、出産に備え、体力を温存しておくために、とにかく寝ようとしたのだが、痛みは増してきていた。

お腹は生理痛の何十倍もするような痛さ、腰の骨はハンマーで叩かれ、砕かれているような痛さで全く眠れない。

それと赤ちゃんが下がってきているのか、尿意を催してくる。何度もトイレに駆け込んだ。しかしトイレに行っても出ない、その繰り返し。

朝まで生まれないなら、まだまだだなと思い痛みと尿意に耐えるしかなかった。

 

病院から帰宅して2時間ぐらいたった午前3時ごろだろうか?

何度目かのトイレに行こうとしたら、破水した。これはまずい。

高いびきで寝ていた夫をたたき起こし、破水したので、今からそちらに行くと夫に病院へ電話してもらった。

夫はガレージから車を出し、エンジンをかけて家の前に停めた。

わたしは破水で濡れた下着を替えようとトイレに行った。尿意も催していたので、ついでに用も足しておこうと便座に座ろうとした。そのときに違和感を感じた。

えっ?これなんだろう?自分でおまたを触ってみると、間違いなく赤ちゃんの頭が少しだけど出ているのがはっきりとわかった。やばい、これはやばい、どうしよう…。

 

正直言ってわたしも我慢の限界だった。これは本能的に病院まで持たないと感じた。

わたしを連れにエンジンをかけたままの車から夫が戻ってきた。

わたしは夫に「もう無理。病院まで我慢できない。ここで産む。取って。」と言った。

そのとき、夫がなんて答えたか覚えてない。ただ「お湯沸かさなきゃ」と言ってたのは覚えているのだが、今まさしくここで生まないとまずいと言ってるのに、お湯沸かすってなんだよと思ったことだけはわたしの記憶にある。

わたしは、タオルケットかバスタオルか忘れたがそんなものをキッチンの床に敷いた。そこにあおむけになり、いきみ、夫が赤ちゃんを取りあげた。破水してすぐの出来事だった。

 

あとで夫に聞いたことだが、出産したときにはへその緒が首に絡まっており、夫はそれをほどいて、口の中に指を入れて泣かせたそうだ。

夫は赤ちゃんをタオルでくるみ、119番した。

夫が何をしゃべっていたか覚えてないが、電話の向こうでは赤ちゃんは泣いたか?へその緒を切ったかどうかと聞かれているのが夫の受け答えでわかった。夫に指示もしてくれているようだった。

 

そのころ住んでいた家は袋小路にあったので、場所がわかりにくいため、夫は長女を起こし、ことの顛末を話し、長女が広い道まで出て行き、救急車を家の前まで誘導するように指示したそうだ。

夫は家の前でエンジンをかけっぱなしにしていた車をガレージにおさめ、救急隊を待った。

ほどなくして救急車が長女の誘導で到着し、救急隊は赤ちゃんをアルミホイルのような保温シートで包み、あおむけの私のお腹の上に乗せた。

わたしはそのまま赤ちゃんとともに病院に運び込まれた。

 

病院で赤ちゃんは保育器に入れられた。体温も下がっておらず、状態が良かったので、すぐに保育器から出ることができた。わたしも順調だった。

わたしの思いもよらぬ自宅出産の経験はここまで。

 

夫は前もって、出産についての本を読んでいたので、万が一自宅で出産になってしまったときの対処の仕方もわかっていたようだ。

それでもなかなか実践に移せる人はいないと思うが、きっとわが子の命を守るために必死だったのだろう。

 

もし私のように自宅で産まれてしまったら、赤ちゃんを呼吸させるために泣かせる(夫は口に手を入れたそうだ)、そして赤ちゃんを大きなタオル、毛布何でもいいので温める、へその緒は切らないこと。

そして119番する。救急隊はそのような赤ちゃんの扱い方もわかっているのでやっぱり救急隊に任せるのが一番だろう。

自家用車を使って自分たちで病院に向かうことはしない方が良い。

次男の場合は、6月という気候も良かったので、体温の低下も防げたようだ。それでも当日の夜は肌寒かった。

 

そんな次男も成人し、出産のときにあれだけ奮闘してくれた父親に冗談で憎まれ口を利くまでに成長した。身長も家族の誰よりも高い大男になった。

次男の出産のときに、夜中、救急車を自宅まで誘導したしっかり者の長女は、今は看護師となり働いている。

あれだけ家の中でバタバタしていた次男の出産を、何も知らずのんきに爆睡していたマイペースの長男は今はエンジニアだ。

医療従事者である長女に言わせると「経産婦を自宅に帰すなんてあり得ない。何もなかったから良かったけど、何かあったらどうするんだよ。」と今は当時のことを話すと少々怒り気味だ。

 

次男は今でさえ生まれて初めて乗った車が救急車だったとか、どこで生まれたかと問われたら、トイレ(医療的な判断では、まずどこで存在を認識されたかで生まれた場所が特定されるらしい)だとか、面白半分にからかわれているが、命を落としかねないような生まれ方をしてきたので、命のあることに感謝しないといけないと思っている。

そして、わたしも次男の命を守ってくれた夫、救急隊の方々、病院のドクター、看護師さん、助産師さんのみなさまに今でも感謝している。



イオンクレジットカード

最近のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

アラフィフ主婦がブログを始めました。 子供3人は無事?成人しました。 子供を育てながら、正社員で働いていましたが、家庭の事情で30代の半ばに退職。それからはズボラな専業主婦をしています。最近は健康を考えて、運動もするようにしています。目標は「ピンピンコロリ」ダイエットも趣味です。 何でも好き勝手書きます。 最近、自称ランナーの夫が「おやじの部屋」を作り参戦してきました。 そちらもよろしくお願いします。