座位分娩(私のエピソード②)

第一子(長女)を妊娠した時に、座位分娩を希望した。

妊婦検診に通っていた病院では、分娩台に寝た状態でお産する普通分娩と、座った状態でお産する座位分娩ができる病院だった。

ちなみに第一子のときには大学病院の産婦人科に通っていた。そしてそこで出産することに決めていた。

わたしは当時はあまりお産に対する知識もなく(インターネットもなかったしね)ただ単に、ちょっと違う方法でお産をしてみたいという好奇心もあり、座位分娩をお願いした。

座位分娩も病院によっていろいろな形があると思うが、わたしの通っていた病院では、婦人科検診を行うときに座るような椅子だったと記憶している。記憶しているなどとあいまいな言い方をしているが、それは後に理由が判明する!(笑)

ところが、座位分娩を希望する妊婦は、病院が行う座位分娩の講習会を受けなければいけないと言われた。そして座位分娩の講習会の前には、自治体の母親学級(今は両親学級とかいうのかな?)を受けた後にということだった。

自治体が主催する母親学級は、平日しかやっておらず、当時正社員で働いていたわたしは、休みが思うように取れず参加したくてもなかなか思うようにいかなかった。そのうえ、座位分娩の講習会なんて、受ける時間が取れるか心配していた。

母親学級参加の時間のやりくりができず、困ったことは覚えているのだが、最終的に参加はしている。それをどうやって時間をやりくりしたのかが思い出せないのだが、恐らく産休に入ってから、参加したのではないかと思う。

なんとか母親学級の受講も終了し、病院の座位分娩の講習会に臨んだ。

助産師さんからいろいろ話も聞き、分娩室に案内され座位分娩台見せてもらった。一番魅力的だったのは、座位分娩は座って行うお産なので、赤ちゃんが出てきやすいということだった。「普通分娩より楽そう。楽ならよけいいいじゃん。」なんて軽く思っていた。

そして、わたしの人生初のお産が始まった。

最終的には14時間ほどかかったお産だったが、初産にしてはそんなに長時間ではないそうだ。

でも、生理痛の何倍もする腹痛、腰の骨を折られているような感覚の痛み、それがメリメリと音をたてているように感じた。

あまりの痛さに耐えるために息を止めてしまう。すると助産師さんにお腹の赤ちゃんに酸素がいかなくなるから、息を止めてはダメだと言われ、もうどうしていいかわからず、ギャーッと大声で叫びたくなるぐらいだった。

なかなか子宮口が開いてくれない。耐えるしかなかった。そしてとうとうわたしは助産師さんに聞いた。「まだ生めないんですか?分娩台に移動できないんですか?」すると助産師さんは「座位分娩希望でしょ。座位分娩の人は、もっと子宮口が開いてからじゃないとダメなのよ。」

えーーーーーーっ、そんなあーーーーっ!

そのあとわたしは「もういいです。座位分娩はいいです。普通分娩にしてください。」と痛みに耐えながら泣きそうになって申し出たのである。

結局、講習会も受けて、分娩台も見せてもらっておきながら、座位分娩は経験しないまま、何の記憶も残らず終わってしまったへたれです。

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アラフィフ主婦がブログを始めました。 子供3人は無事?成人しました。 子供を育てながら、正社員で働いていましたが、家庭の事情で30代の半ばに退職。それからはズボラな専業主婦をしています。最近は健康を考えて、運動もするようにしています。目標は「ピンピンコロリ」ダイエットも趣味です。 何でも好き勝手書きます。 最近、自称ランナーの夫が「おやじの部屋」を作り参戦してきました。 そちらもよろしくお願いします。