わたしは一人娘で、なおかつ、毒親に育てられた。
前に「毒親からの完全開放 影宮竜也著」という本も紹介したが、書かれていたことの多くは、わたしも経験してきたことだった。
本当にわたし自身の育ち方そのままだった。
その本からの一部抜粋なのだが
「親の言うことは正しい」
「親は自分のことを心配して叱ってくれている」
「親を尊敬しなければならない」
世の中には親を称賛する言葉が星の数ほど存在します。
確かに子どもに暖かい愛情を注ぎ、心の底から子供を慈しむ心を持つ親の元で育った子どもは、何の疑いもなくそれらの言葉を受け入れることができるでしょう。
しかし、そんな素晴らしい親が存在する一方で、子どもを自身の所有物であるかのように考える親も実在します。
そんな親でも子どもは黙って従わなければならないのでしょうか。
どんなにひどい暴力や言葉を浴びせられても、子供は親の言いなりにならければいけないのでしょうか。
「子どもを愛さない親はいないよ」
「親の悪口を言う子どもは悪い子だ」
「親も色々大変だったのよ」
世の中に親を擁護する言葉はあっても、子どもの気持ちを汲み取ってくれる言葉は意外に少ないものです。
とも書かれている。
親を称賛する言葉にあふれている世の中だから、それに子どもは苦しむのだということも書かれていた。
そうだ、わたしもそう思う。
だからわたしも苦しんできたのだ。
わたしは親の言うことに従わないのなら、家を出て行けとよく言われたのだった。(なので、早く家を出て行きたかった。)
この本によると、その言葉は子どもの生存権を脅かしていることだそう。
それもこの本で初めて知り、なんてひどい親なんだろうと今さらながら思う。
わたしは特に母親に毒を注入されて育ってきた。
毒母は86歳になった今でも健在だ。
父親は16年ほど前に他界した
毒母はますます元気で、未だに毒を吐き続けている。
ライフワークのごとく母は現在も様々な毒を吐き続けているのだが、わたしは幼い子供の頃のように、毒母の言うことが全てだとは当然思ってないし、むしろ毒親の言うことは心の中で全て否定している。
毒母は自分を省みることはない。
そして、自己保身しかない。
わたしの言葉を素直に受け入れることができるなら、毒親にはならないはずだ。
なので、わたしは母親を説得しようとか、わかってもらおうなんてことは一切考えず、無駄な労力は使わないことにしている。
わたしの話を聞いてくれたことなんて今まで一度もないのだから。
毒母の毒吐きはわたしの長女(既婚)に向けてのことだ。
それはずっと前…かれこれ10年近く前から現在進行形で言い続けている。
よくもまあ飽きもせず同じことを長年言い続けるものだ。
執念深さもおどろおどろしい。
わたしの長女は、毒両親にとっては初孫だった。
一応、かわいがってはくれた。
今になって長女のことを「小さいときに初孫だからかわいくてかわいくて、あんなに可愛がってあげたのに、今じゃ、おばあちゃん元気にしてる?なんて電話一本もよこさない。一言ぐらいあってもいいじゃない。そのくらいするのが当たり前。〇〇(長女の名前)はおかしい。常識がない。」と。
わたしに長女から電話をするように言えってか?
常識がない育て方をしたのはわたしだと言いたいのか?
初孫の長女がかわいくて、かわいがったのはわかる。
それは本当にそうだったのかも知れない。
でも、今になって自分に一言ぐらいあって当然。
それが常識などと、見返りを求めたら、それはもう無償の愛じゃなくなるよ。
長女が幼い頃に「おばあちゃんは将来あなたに、あなたをかわいがったことの見返りを求めるからね。」と言っとけよ。
長女が予備校に通っていた時に、長女は、毒母のところに居候していた。
その後大学に通うようになり、しばらくは毒母のところから通っていたのだが(予備校時代から生活費は渡していた)あまりの毒祖母ぶりに、ある時、長女から泣きながら電話があり、祖母と暮らしたくない、暮らせない、もう限界だと。
そのときにもひと悶着もふた悶着も揉めて、一筋縄ではいかず、その後やっと、長女は毒祖母の家から出て行ったのだ。
そういう経緯があるのだ。
愛情は見返りを求めた時点で、無償ではなくなる。
毒母はきっと否定するだろう。
毒母はこう言うだろう。
「見返りなんて求めてない。孫が祖母に電話ぐらいしてくるのは世間の常識だ。」と突っぱねるだろう。
いや、でもそれが見返りなんだよ。
見返りを求めてない人は、黙ってても連絡が来るだろう。
見返りを求めてないとは言いつつも、連絡がないことに腹を立てている時点で見返りを求めているんだよ。
見返りを求めるからそれが人に伝わるんだ。
相手にそれがわかるから、相手も連絡してこない。
それだけのことだ。
心で思うことは伝わるんだよ。
実子のわたしは毒母が重いし、極力連絡は取りたくないと思っているのだから、孫になったら余計にそうなるだろう。
毒母は相手が自分が思い通りにならないと、あの人は非常識、あの人は常識がないとぶった切る。
人は自分の思い通りに動いてくれないし、自分が思っている通りのこと、期待通りのことを言ってはくれないものだ。
その思考を変えない限り、幸せを感じることはないだろう。
いくらお金があっても、いくら物質的に満たされていても、わたしの毒母は幸せになれない人なんだと思う。
人が死ぬときには、その人の人生の学びが終わった時だと何かで聞いたか読んだかしたことがある。
そこから言うと、わたしの毒母は、そういう意味ではまだまだ学ぶことが多すぎて、この世での修行を長い時間しなければならないだろう。
今の毒母の人生も、全部自分で創造してきたものだ。
人の悪口、人に対して不平不満を言う前に、自分自身を省みないと幸せにはなれないよ。
ずっとずっと不幸のままだろう。
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